気になる本 02/09

括弧の意味論 NTT出版 木村大治著

 ○○の意味論といえば、故多田富雄さんの「免疫の意味論」は面白かった。今回NTT出版から「括弧の意味論」という本が出るという。意味論という言葉に反応したのだが、出版社のHPや目次を読んでもさっぱり内容が想像できない。括弧に如何なる意味論があるというのだろうか… 括弧付きで他人の意見や言葉を引用することで持論を権威化して世論をリードし、反論を受けたら引用だと逃げる。そこから主体性がなく責任を回避する日本人の思考を批判、なんてつまらない内容ではないとは思うけど…

週刊誌の見出しや難解な現代思想文には、なぜ括弧が多用されるのか? 「括弧」と括弧ではなにがちがうのか?  さまざまな領域でみられる「括弧という現象」を分析し、括弧のパワーの秘密を明らかにする、ユニークな現代コミュニケーション論。

第1章 括弧をめぐる遍歴――週刊誌の括弧と現代思想の括弧
第2章 括弧という現象――区切ることでなにが起こるのか
第3章 括弧の歴史――括弧はどのように使われてきたのか
第4章 括弧の意味論――括弧の持つ創造的なパワー
第5章 括弧の行為論――共犯と誘惑のメカニズム
第6章 括弧の現在――括弧の使用はどのような意味をもつのか


ことばの重み 講談社学術文庫 小島憲之

 「神は細部に宿る」(ここにも「」が出てきた)とある建築家が言ったそうだが、先に紹介した本が括弧という細部に目を向けた本なら、本書は森鴎外の著作に現れる漢語という細部に目を向けた本。重箱の隅をつついたようなつまらない本になっているのか、瑣末な氷山の一角の下にある豊かな世界を詳らかにしてくれる本になっているのか。

針の穴のような微小の一語からでもひろい天をあおぐ――鴎外の漢詩、漢文は正しく読まれているか
 
上代以来の日本文学の中の片々たることば、その一語一語の性格を確かめる作業を、私は一生のつとめとしてきた。鴎外の漢語も例外ではない。いわば「顕微鏡的」なその学問の方法に、「何と瑣末な……」と思われるむきには、このように答えるしかない。「いったい学問に関して、どこまでが瑣末で、どの程度ならば瑣末でないのか」と。――著者
 
※本書の原本は、1984年、新潮社より刊行されました。
 
第一「赤野」 『航西日記』にみる鴎外の“剽窃
第二「望断」 それは誤読の発見に始まった
第三「繁華」 青森の花柳の巷はいつ焼けたか
第四「青一髪」 東の詩人頼山陽と西のワーグナー楽劇
第五「易北」 『独逸日記』、魂飛ぶ先の女性たち
第六「妃嬪」 ベルリン七首と碧灯車上の客
第七「涙門」 舞姫エリス、『還東日乗』の虚実像
第八「葫蘆」 わたしを悩ませた『小倉日記』の語群
第九「舂く」 『うた日記』のあや――万葉語と漢詩
第十「暗愁」 大正天皇詩集とハルピン駅頭の伊藤博文
第十一「今夕」 ことばは揺れる――失われた明治の詩嚢


徳川将軍権力と狩野派絵画 ブリュッケ/星雲社 松島仁著

 狩野派室町時代から江戸時代末期にかけて、時の権力者の庇護のもと日本画壇に絶大な影響を誇った絵師の集団。戦国期には誰が政権をとってもいいように有力な権力者に巧に取り入って勢力を伸ばした。本書は狩野永徳の孫で、江戸を中心に活躍した江戸狩野派の始祖狩野探幽を中心に、権力と絵画の関係を分析する。副題「徳川王権の樹立と王朝絵画の創生」 お値段もそこそこするし、研究者向けの書籍のようなので気軽に手に取れる本ではないかもしれない。
 

その他、気になる本

元禄文化  講談社学術文庫 守屋毅著

町人社会、「遊び」に出会う。破滅を賭した遊芸、性の享楽としての「悪所狂ひ」、遊興と連続した芝居。「遊び」を視座に、魅力に満ちた元禄文化の深層を描きだす。
 
十七世紀末、西鶴近松芭蕉光琳、師宣らを輩出した元禄文化が花開く。文学、絵画、工芸のみならず、町人が主役となり、奢侈の風俗を生んだ。遊里に入り浸る新興商人、芸事に溺れ身を滅ぼす二代目、芝居に憂き身をやつす人々。生産と消費の外部にある第三の領域=「遊び」という視点から、太平の世の町人文化の深層に迫る。――<解説・熊倉功夫
 
消費と蓄財の均衡に存亡をかける町人たちのまえに、不思議な誘惑がたちはだかる。たとえば、趣味の世界――遊芸である。性の饗宴ともいうべき遊里である。そして、もうひとつの饗宴――芝居という芸能の場の存在も視野にいれておいてよい。(中略)その第三の価値領域を、かりにいま、「遊び」と名づけることができるかもしれない。しかも町人たちは、この「遊び」の領域にふかく足をふみこんでいたのである。いや、「遊び」から足をぬけなくなっていたというのが、真相であろうか。――<本書より>
 
序章 「町人」の時代――『日本永代蔵』の世界から――
第一章 「遊芸」という行為
第二章 「悪所」という観念
第三章 「芝居」という空間

・学歴貴族の栄光と挫折 講談社学術文庫 竹内洋

旧制高校」は日本に何をもたらしたか。「教養」主義の誕生、復活、解体、そして終焉――。エリート学生文化から読む、画期的近代社会史!
 
白線入りの帽子にマントを身にまとう選良民=旧制高校生は、「寮雨」を降らせ、ドイツ語風のジャーゴンを使い、帝国大学を経て指導者・知識人となる。『三太郎の日記』と「教養主義」、マルクス主義との邂逅、太平洋戦争そして戦後民主主義へ……。近代日本を支えた「社会化装置」としての「旧制高等学校的なるもの」を精査する。――<解説・関川夏央
 
旧制高校はどのようにして誕生し、なにゆえそれほどの威信をもつ学校になったのだろうか。学歴貴族といわれる旧制高校に進学したのはどのような階層の人々なのか。どのようにして「教養」主義が旧制高校の学生文化のなかで覇権をにぎるようになったのか。覇権をにぎった旧制高校的教養は近代日本社会にどのような帰結をもたらしたのか。旧制高校教養主義がなぜ戦後日本社会に蘇り、なにゆえ解体され終焉をむかえたのか。まずは、旧制高等学校誕生の扉を開こう。――<本書より>
 
※本書の原本は、1999年4月に中央公論新社より刊行されました。
 
プロローグ 学歴貴族になりそこねた永井荷風
第一章 旧制高等学校の誕生
第二章 受験の時代と三五校の群像
第三章 誰が学歴貴族になったか
第四章 学歴貴族文化のせめぎあい
第五章 教養の輝きと憂鬱
第六章 解体と終焉
エピローグ 延命された大学と教養主義

 講談社学術文庫から2冊。「元禄文化」は長年の不景気にあえぐ一方で、ネットやサブカルチャーにどっぷり浸った現代日本人にとって親近感のある時代に思えるか、それともバブルな時代に思えるのか? 「学歴貴族の栄光と挫折」は旧制高校の威信に迫った本。昔の映画を見ていると学ランに学生帽をかぶった旧制高校生が、世間の人から尊敬を受けているシーンをよく目にした。ずっとそれを不思議に思っていたので、本書は非常に興味深い。