トライ・エイジ〜三世代の挑戦〜「第三回 杉山家三代の物語」

NHK プレミアム8<人物> トライ・エイジ〜三世代の挑戦〜「第三回 杉山家三代の物語」

 NHKの「トライ・エイジ〜三世代の挑戦〜「第三回 杉山家三代の物語」」が面白かった。茂丸が父・三郎平に「天下のために杉山家を潰す覚悟がある」と語るシーンが印象的。そして、その孫は自らの資産を売り払ってインドの緑化に尽くした。一家を貫くアジアへの視点、「在親民」の思想。こんな人たちがいたとは。そしてこんな一家に「夢野久作」という日本で一二を争う怪奇幻想小説の大家が生まれるのも驚き。

親子三代続けて、ある分野で優れた業績を挙げ、日本の近代史に大きな足跡を残した3つの家族の見事な人生を描くドキュメンタリードラマシリーズ。最終回は、欧米列強からアジアの自立を支援するために、私財を投げ打ち尽力した杉山家の男たちの、豪快な人生を描く。高橋和也ほかの個性派演技陣が、独創的でスケールの大きい一家を演じる。

杉山茂丸 1864〜1935

 明治・大正期に政財界で暗躍した国士。
 父、三郎平は福岡藩に仕える武士であったが、「武士といえどもこれからは農業をして自活するべきである」と進言したのを問題視され謹慎処分を受けた。帰農した三郎平は、農業の傍ら寺子屋を開き、また、茂丸に四書五経素読を教え込んだ。「大学」の「在親民:民の生活を第一に考えよ」という言葉は、杉山家の家訓であり子供たちの行動指針となる言葉であった。明治11年に開いた私塾「敬止義塾」では20人ほどの弟子に儒学や日本古来の思想を教え、当時の「脱亜入欧」をスローガンにした東洋軽視の風潮とは反対を行くものであった。アジア重視の姿勢もまた杉山家の子孫たちに大きな影響を与えた。

 そんな父の影響を多分に受けた茂丸は16歳の時に杉山家の家督を相続し、見聞を広めるため日本各地を放浪するなかで、日本の行く末を深く案じるようになる。20歳の時にはついに伊藤博文の暗殺を企てるが、本人に諭され翻意する。その後も各地を点々とする生活を続け、そんな中で国家主義者・頭山満(1855〜1944。政治結社玄洋社設立)と出会い、産業振興による日本の強国化を目指すようになる。福岡県令・安場保和の力により筑豊炭田の採掘権を得た後は、1888年の九州鉄道設立、1912年博多湾築港計画(杉山町)など北九州地方の産業振興に力を尽くした。また東京に「暢気倶楽部」を結成し、金子堅太郎、伊藤博文桂太郎児玉源太郎後藤新平ら中央政財界の大物ともつながった。さらに、1898年には渡米しJ・P・モルガンから低金利の興業銀行設立のため1億3000万ドルの融資の仮契約も取り付けた(これは議会の反対で頓挫)。1899年には児玉源太郎後藤新平を説得し台湾銀行を設立。自ら、製糖会社も設立した。その活動は次第に汎アジア的なものとなり、日本に亡命してきたボースや孫文との交流もあった。また台湾に蓬莱米を普及させるなど民のために尽くす活動も行い、アジアの連帯による欧米列強への対抗を生涯目指した。

杉山直樹(後に泰道) 1889〜1936

 茂丸の息子・直樹は奔放な父、離婚した母に代わり祖父・三郎平によって育てられた。幼少期から体が弱く絵や文学が好きな少年であった。父親の期待に沿うべく18歳で上京し、近衛師団に入隊する。1年の兵役を終えた後は慶應義塾大学に入学するが父の命令により2年で中退。地元に戻って杉山農園開園のための仕事をする事となる。農園の仕事は過酷で1915年には一時出家し泰道を名乗る。1917年に還俗した後は再び杉山農園を経営し、その傍ら文章を発表するようになる。1920年には九州日報に入社し、数々の童話を発表する。1926年に小説「あやかしの鼓」を機に「夢野久作」のペンネームを使用するようになり、以後作家「夢野久作」として「ドグラ・マグラ」をはじめとして多数の作品を発表する。
 1935年父が急死。多額の借金を抱え、愛人も多くいた茂丸の死後の処理は膨大なもので、久作は8ヶ月もの間その処理に忙殺される事となる。ようやくその処理が終わった翌日、久作自身も脳溢血により死去した。

杉山龍丸 1919〜1987

 茂丸の孫。久作の死後、家族を養うために陸軍士官学校に入学し、卒業後従軍。多くの部下を死なせてしまった事は龍丸の心に深い傷として残った。戦後は杉山農園を経営。1955年にインド人農業留学生を杉山農園で指導したのを契機に、インドに目を向ける。1960年に大飢饉が襲ったインドを訪れ、生涯をインドのために尽くす事を決心する。1963年にはヒマラヤ山脈と並行して走る国道沿いにユーカリを植林をする事で地下水の確保が出来るのではないかと考え、私財をなげうって自ら実践し農地の緑化に成功した。1967年には祖父が台湾で普及させた蓬莱米をインドに導入し、コメと麦の二毛作により農民の生活向上に貢献した。